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また始まるために

去年、はてなブログに毎日の日記を投稿していたらそうじゃない文章をなんとなくアップしづらくなってしまって(日記を投稿する前は「そうじゃない文章」がほとんどだったのにね)、かと言って他のブログサービスもピンとくるものがなく、なら自分で用意すればいいじゃんと思って、その帰結がここである。

note を使ってみようとしたこともあったが、あんまり居心地がよくなかった。べつにどこに書いたってその文章本来の価値は損なわれないとは思うが、だからこそよくよく吟味したい。できるだけ自分の納得できる環境を、と考えているうちに自然と note は選択肢から消えて、最終的に自分で用意するのがいちばんいいと考えた。好きな人たちの文章にさっとアクセスしたいから、アカウントは残しておくけれど。

2020年にわざわざテキストサイトを立ち上げることの滑稽さを、個人的にはかなり気に入っている。誰の目も気にせず、アクセス数とか「いいね!」とかスターとかスキとかに一喜一憂する必要もなく、好きなことを書けることの尊さ。あまりよく思っていない企業を間接的に支持してしまうようなことにもならない。売れたい気持ちはそれなりにあるが、たぶん自分はそうはなれないなという自覚があり、それならばと半ばやけくそな気持ちもありつつ、バズだなんだといった価値観とは積極的に距離をとって、自分が心から良いと言えるものをなるべく選んで、地道に、今この文章を読んでくれているあなたのような人を増やしていきたい。ありがとうございます。

最初は、日記以外の、一般的な意味での「エッセイ」を載せるための場として準備を始めたのだが、その過程で「エッセイ = essay」の語源が「試みること」であると知った。こんなに自分にふさわしい言葉もないなと思った。なんでも試していくぞ。急に4コマ漫画を載せたりしたい。